「弧坐」
『弧坐(コザ)』

ここはくらい。どこまでもくらくて なんにもない。
ここにひとり。いつまでもひとりで だれもいない。

おれのいるべきばしょは ここじゃない。
おれのまもるべきひとは ここにいない。

ずっと てをのばしているのに。
ずっと なきさけんでいるのに。
このても このこえも とどかない。

おれが おれだけが このふかい「闇」と「孤独」にむしばまれていく。
どんなにもがいてもあがいても 「闇」と「孤独」にのみこまれていく。


ほかにはなにもないから いつしかおれは それらをうけいれた。
すきだとおもえば 「闇」も「孤独」もここちよい。

けれど おれは あきらめていない。
「闇」と「孤独」にだかれながら ゆめをみる。
おれのてが おれのこえが いつかとどく。
おれのいるべきばしょへ おれのまもるべきひとのもとへ いつかいける。
ちかくてとおいそのばしょを ゆめにみながら ねむりにつく。

そこはきっと 「闇」よりも「孤独」よりも ここちよいばしょだろう。



仔闇マリのモノローグ。
雰囲気出そうと平仮名文章で。
漢字が目立つはいいが、他は読みにくい、かも…。
彼は「闇」も「孤独」も好きだと言ったけれど、
それらは望んだものじゃない筈で。
本当に好きなのは、心から求めたのは、唯ひとり、唯ひとつ。