「蟋蟀」
『蟋蟀(コオロギ)』

就寝前のバスタイム。
マリクはひとり脱衣所に居た。
闇マリクは部屋に居る。
夏場に水浴びする程度ならまだしも、ふたりで入浴は色々と都合が悪い。
故に、渋る彼を説き伏せ、入浴は別々にしたのだ。
まぁ別なら別で、どこか気が急いているのも事実なのだけれど…。
ともかく早くしようと、頭から服を脱いだ時。
足元に、ぽとりと何かが落ちる音がした。
だが、落ちる様な物は何もない筈である。
不思議に思いながら、マリクはソレを確認しようと身を屈めた。


「うわぁっ!?」

浴室から響いたマリクの悲鳴に、闇マリクは顔を上げた。
危機的なものでは勿論ない。
さりとて聞き流せる訳も勿論なかった。
部屋を飛び出し浴室へと向かう。
可能な限り力加減をして、その扉を開けた。

「どうした、主人格サマ!?」

扉の先では、脱ぎかけた服を腕に掛けたままのマリクが、床の一点を見詰めていた。
自然、視線は同じ所へ行く。
そこには…。

−キリリ…リリリ…−

懸命に鳴いている虫が居た。

「べ、別に怖くない!服脱いだら落ちてきて、びっくりしただけで…!」

早口に説明するマリクの声を聞きながら、闇マリクは腰を落とした。
こうして虫が鳴くのは、大概が異性を呼ぶ為だと認識している。
だとすれば、此処で幾ら鳴いても実を結ぶ事はないだろう。
ならばと虫を摘み上げ、マリクの横を擦り抜けて、脱衣所の窓から外へと放った。

「ちゃんとテメェの声を聞いてくれる奴のトコに行きな」

小さく呟いてから振り返ると、ややばつの悪そうなカオのマリクと目が合った。

「なんてカオしてんだぁ?」

いつもの調子で笑い掛けても、俯いてしまう。
聞かせるつもりのない呟きが聞こえてしまったらしい。
微かに溜息をついて、闇マリクはマリクに近付いた。

「…ボクは…」

何か言いかけたマリクの唇を、やんわりと塞ぐ。

「昔の話だ。今はちゃんとオレの声も聞いてくれる。だろ?」

視線を絡めて語りかければ、小さくこくりと頷いた。
それを見届け、さらさらと頭を撫でてから側を離れる。

「じゃ、ゆっくりしてな」


闇マリクが出て行った扉を、マリクは暫しぼんやり眺めていた。
だが、ふと我に返る。

「な、何が『ゆっくりしてな』だよ!」

唇を押さえ、扉に背を向ける。

「そんな事、少しも思ってないクセに」

そう、今はわかる。
実際言葉にしなくても、彼が何を思ってるかくらい。
どれ程、自分を想ってくれているかくらい。
だから、ゆっくりなんてしてられないじゃないか。
脱ぎかけの服を脱ぎ捨てて、マリクは浴室へと飛び込んだ。

何処かで、蟋蟀の声がした。



主人格様→闇マリ→主人格様と視点が移る、変則SS(大袈裟)。
自分が書くSSとしては少々長めになった為か、
各所で若干削った感が否めないような…(汗)。
蟋蟀とは様々な点で比べ様もないけれど、
闇マリもずっと叫び続けていたんじゃないかと思います。
己が愛する唯ひとりに向けて。『オレを見つけて』と。